東国の熱量を届ける

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インタビュー

大企業を辞めた仕掛け人が
旭で描く「まちの建築家」の生き様

永井大輔さん

合同会社くらす

200mの日常を耕す

千葉県旭市、イオンタウン旭の一角に誕生した「おひさまテラス」。多機能な地域連携施設として全国から注目を集めるこの場所をゼロから構想し、自ら現場の舵を握ってきたのが永井大輔さんです。しかし今、永井さんは大企業の看板を離れ、この街で一人の「まちの建築家」として歩み始めています。

永井さんが追及しているのは、効率や規模を追い求めるビジネスモデルではありません。それは、縁のあった土地に深く根を張り、顔の見える関係性の中で「人が人らしく、幸せに暮らす」ための日常のデザイン。なぜ、あえて「半径200m」という小さな圏域に情熱を注ぐのか。その歩みと、旭で見つけた新しい生き方の輪郭を辿ります。


「変人」への期待から始まった、挑戦の物語

── 永井さんのこれまでの歩みは、非常に多層的ですね。まずは現在の道に至るまでの原点について教えてください。

筑波大学で工学を学んだ後、23歳で日本一周の旅に出ました。建築家になりたいと思い、横浜にある小さな設計事務所で修行したのですが、力不足を痛感。あらためて建築について深く学びたいと考えて建築系の大学へ学士編入学しました。卒業後は、NTT系の設計事務所に入社し、主に通信関連の大型機械を格納する建物である局舎の設計に携わりました。

── 大手での安定したキャリアがありながら、なぜイオンタウンへの転職を決意されたのでしょうか?

NTTでの仕事はやりがいもありましたが、どこか「人が主役ではない建築」を自分がつくることに違和感があったんです。そんな時、イオンタウンの最終面接で出会った当時の副社長から、こう言われました。「君のような変人にこそ、新しいイオンを考えてほしい」と。その言葉に背中を押され、巨大な商業施設を舞台に、新しいコミュニティのあり方を模索する日々が始まりました。

── イオンに入社してから旭市のおひさまテラスのプロジェクト推進と順風満帆に歩んでいらっしゃるように見えますね。

実はそうでもないんです。入社してみると、やはり大企業らしい壁や組織文化が多層的にあったこともあり、自分の思ったようなスピード感で物事を進めることは叶いませんでした。旭市での取り組み以前に、守谷市での小さなイベント活動や空き区画を活用したコミュニティスペースなどを仕掛けていました。手ごたえを感じる部分と組織の硬直感を感じる部分での葛藤。異例の社長直談判を決行し、社長直轄の新規事業部署の設立を実現させました。社内での反発は正直大きかったと思います。

──旭市との関わりはそこから始まったのでしょうか?

そうです。本社企画部門で全国の物件のマスタープランを担当する中で、旭市役所への提案に対し、既存の商業プランに「公共施設である『おひさまテラス』を組み込みましょう」と大胆な提案をしました(イオンタウンにも旭市にも初めての試みでした)。企画が営業側に渡ると「いつも通りのお店」になってしまうという危機感から、建設費の試算から30年スパンの運営シミュレーション、備品の一つ一つまで私が自らディレクションし、初代館長として現場運営の責任者も担いました。

──私(長嶺)も永井さんが館長時代に出会いました。とても素敵な館長さんだな~と思っていた矢先に退職を知り、本当に驚きました。

実は、おひさまテラスの館長としていろいろなイベントを企画している中で、街の人たちから「一緒に面白いことをやろう」と声をかけていただくことが増えました。しかし、会社員として配属されていた身なので、会社の「副業禁止」の壁があり、共創の依頼に応えられないもどかしさがありました。より自由度高く街にコミットするために、2024年に退職と独立を決断したのです。退職時は半年かけて後任への引き継ぎを行い、自分が離れた後もプロジェクトが未来へ続いていくように働きかけました。

「まちの建築家」として紡ぐ、幸福な循環

── 現在は「合同会社くらす」を立ち上げ、どのような活動を大切にされているのでしょうか。

自分の中では「まちの建築家」という感覚で様々な活動を行っています。建物を作るだけでなく、その場所を起点にどんな関係性が生まれるかをデザインしています。現在は、市原や愛知県武豊町、印西市などでのプロジェクトにも関わっていますが、これらはすべてイオンタウン時代からの大切なご縁や実績が今も仕事として紡がれているものです。

── 外部での活動で得た熱量や経験を、拠点である旭へ持ち帰るようなイメージですか。

そうですね。意識的に「還元しよう」と奔走しているわけではなく、結果として外の世界でいただいた知識や情報を、自分の暮らす旭の街を面白くするために活かすという、自然な流れを大切にしています。2026年2月には、駅前に「パブ九日(ここのか)」という、地域の寄り合い所のような場所をオープンさせました。こうした小さな拠点から、新しい繋がりが生まれるのが何より嬉しいんです。

── 旭という土地の、どのような点に可能性を感じていらっしゃいますか?

農業文化に根ざした「よそ者を受け入れる」寛容な空気感があります。駅前にはまだ活かせる「余白」がたくさんあります。家賃を抑えて挑戦できる小さな物件があるからこそ、若手が最初の一歩を踏み出せる。そんな「一歩踏み出せる環境」をつくっていきたいと思っています。

半径200mに凝縮された、未来の景色

── 永井さんが描く、これからの旭のビジョンについてお聞かせください。

「半径200mで日々の生活が完結する」という日常を作りたいんです。その範囲内で、仕事をして、昼飯を食べて、こだわりのコーヒーを飲んで、古着を見て、夜は知り合いの店で飲む。すべての場所に「顔の見える誰か」がいる状態。そんな密度の高い日常こそが、人が幸せを感じられるサイズ感ではないかと思っています。

── 具体的に、3年後や5年後に向けて考えていることはありますか?

まずは、街の中に「宿」を作りたいと考えています。また、例えばですけど、若手のコーヒー店主が常設店を持てるように物件購入を支援するなど、街の「伴走者」としての役割を深めていきたいですね。大きな商業開発ではなく、小さな粒が連なって街全体が魅力的になっていく、そんな景色を目指しています。

── その一歩目の活動が前述の『パブ九日』ですね。

はい。旭市の銀座通り商店街付近にある、かつての空き店舗を自らリノベーションしました。『九日』という店名には重層的な想いが込められてあって、まず「旭」という漢字を分解すると「九」と「日」になります。そして、この場所で地域の多様な人たちが集い、「個々の香(ここのか)」を感じ、「個々の歌」を奏でてほしいという願いを込めた「寄り合い所」です。イギリスのパブ文化にも通ずるような、誰もが足を踏み入れやすい空間と灯りを意識しました。

日本のサラリーマンはクビにならない。だから「やり切れ」

── 自身の活動や、仕事に対する向き合い方について大切にしていることは?

「手を動かすこと」です。一級建築士という肩書きはありますが、ロゴのデザインから、歩ける屋台の施工、照明の設置まで、自ら現場で形にすることを重視しています。言葉だけで語るのではなく、実装する姿を見せることで、周囲の人の「やってみたい」という気持ちに火を灯したいと考えています。以前、自分自身会社員として働いていた際に働くことへの違和感を抱いていました。この違和感から脱するために通った都市経営プロフェッショナルスクールでこんな言葉に出会いました。『日本のサラリーマンはクビにならない。だから「やり切れ」』。その通りすぎると感じました。そこからは気分が軽くなり、前に進むことを躊躇わなくなりました。

 

──これから地域で何かを始めたい若者や、くらすの活動に関わりたい人へメッセージをお願いします。

日本の今の仕組みの中では、あえて「レールから外れる」という選択をしても、致命的なことにはなりません。それよりも、自分が心から「心地よい」と思える環境で、誰かのために役立っている実感を持ちながら暮らす方が、ずっと人間らしい幸せに近い気がします。旭には、そんな「自分らしい一歩」を受け止めてくれる隙間がたくさんありますよ。

家族との約束と、最期に名乗りたい「建築家」の肩書き

──独立されて多忙な日々かと思いますが、ご家族との時間はどうされていますか?

現在は旭と、家族の待つ守谷との二拠点生活です。単身赴任時代は月1回の帰省がやっとでしたが、独立してからは週1回は必ず守谷の自宅へ戻り、小学生の子供たちや妻との時間を過ごすようにしています。独立するにあたって、自分の中で「毎日全員で暮らす一般的な家庭とは違うけど、私たちなりの最高の家族になっていこう」と誓いました。会社員時代よりも帰る回数が増えたことで、家族と過ごせる時間の有難みを強く感じています。今後もし妻が何か挑戦したいと言い出したら、今度は私が全力で応援する番だと思っています。

 

──最後に、毎日動き続ける永井さんの旭市内でのリフレッシュ方法を教えてください。

頭を冷やしたい時やリフレッシュしたい時は、地元の「旭の湯」へ行きます。サウナと水風呂に入ってリセットするのが、僕にとって一番の癒やしの時間です。他に、勝負飯はハンバーガーショップの「no Wave」さんですね。ここの店主との出会いがあったからこそ、僕の旭での人脈が爆発的に広がりました。旭にコミットするきっかけをくれた、大切な場所です。

「死ぬときは飯岡の海に灰を撒いてほしい」と本気で思っているんです。今の肩書きはイベント屋だったりパブのマスターだったりと流動的ですが、最後には「まちの建築家でした」と言って死にたいんです。一級建築士という資格に安住せず、それを「街の営みをデザインする力」へと拡大解釈し、空間だけでなく、人や関係性、そして街全体をデザインする「まちの建築家(アーキテクト)」として、これからもこの街にコミットし続けます。


永井大輔氏について

北海道札幌市出身/茨城県守谷市および千葉県旭市の二拠点生活

筑波大学工学システム学類卒業後、横浜の設計事務所に就業。日本一周の旅に出て、キャリアを見つめ直したのち、再度建築設計を学び直すべく、首都大学東京建築都市コースへ学士編入学。NTTファシリティーズ中央に入社し、データセンター用などのセンター基地設計に従事。その後、イオンタウン株式会社に転職し、商業施設の企画開発に携わる中で、千葉県旭市と出会う。「みらいあさひ」と「おひさまテラス」のプロジェクト推進、企画に従事した後、現在は旭市在住の起業家として、地域に骨を埋めながら街づくりに奔走中。


(取材後記)

ユーザー名

取材を終えて心に残ったのは、永井氏の「実装力」という言葉の重みだ。多くの人が「街を良くしたい」と口にするが、実際にノコギリを握り、ペンキを塗り、泥臭い収支計画を立てて、自ら立ち飲み屋のカウンターに立つ人はどれほどいるだろうか。彼は単なる支援者ではなく、誰よりもこの街で「くらす」実践者だ。不思議と「自分も何かできるかもしれない」と思わせる空気が彼の周りに流れているのは、彼自身が大手企業の安定を捨て、この旭の余白に自らの人生を全賭けしているという「覚悟」が、言葉以上の説得力を持っているからだろう。

「半径200mの豊かな日常」という、一見小さな、しかし計り知れないほど深い理想郷。もしあなたが今の働き方に迷い、もっと「手応え」のある人生を求めているのなら、ぜひ一度、旭の『パブ九日』を訪ねてみてほしい。カウンター越しに彼と語らう時間は、移住者や地域で挑戦したい若者にとって最も確かな希望の光となり、あなたの明日への地図を静かに、しかし劇的に書き換えてしまうかもしれない。

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