目指すは「安定」と「革新」の両立。
食のインフラを支える“黒衣”がつくる、社員と地域の豊かな景色
創業から170年以上の歴史を刻む「ちば醤油」。その重みある暖簾を守るために、飯田恭介社長が選んだ道は、伝統にただ安住することではなく、時代に合わせた「守破離」の実践でした。 アパレル業界やアメリカでの生活を経て家業に戻った彼が直面したのは、伝統を守り続けてきた社内の空気感と、新たな事業の柱を模索するという大きな使命。 現在、上場企業のラーメンチェーンをはじめ、多くの「味」を支える存在となった同社。なぜ彼は、老舗醤油蔵を「提案型開発企業」へと進化させることができたのか。香取市を舞台に挑戦を続ける、経営者の覚悟とビジョンに迫ります。

アパレル、渡米、そして工場での葛藤。経営者の原風景
― まずは飯田様のルーツについて伺います。やはり幼少期から「醤油屋の跡取り」として育てられたのでしょうか。
そうですね。(千葉県)旭市の工場で生まれ、職人さんや従業員の皆さんに将棋を教わりながら育ちました。「長男が家を継ぐ」という考えが根強い時代でしたから、周囲からも自然と後継者として温かく見守られていたように思います。 ただ、最初からすんなりと家業に入ったわけではありません。大学卒業後は広告業界に興味を持ちましたが、「いつかは家業に戻る身だろう」と見られることも多く、就職活動は難航しました。最終的には、新聞広告で見つけたアパレル企業の広告企画職にご縁をいただきました。
― 一度、外の世界を見られたわけですね。
はい。そこには多様なバックグラウンドを持つ方がいて、非常に刺激的でした。その後、友人の勧めもあってアメリカのサンフランシスコへ渡り、10ヶ月ほど語学学校に通いながら見聞を広めました。帰国後に「ちば醤油」へ入社したのですが、そこからが私にとっての本当の修行の始まりでした。

― と言いますと?
当時、社内には長年会社を支えてくださっている職人気質のベテラン社員が多く在籍していました。そんな中で、戻ってきたばかりの私は「社長の息子」という立場こそあれど、まだ何の実績もありません。 最初の半年間は工場の現場作業、その後は営業同行と経験を積ませてもらいましたが、自分の役割を模索する日々でした。周囲のプロフェッショナルな仕事ぶりを前に、自分がどう貢献できるのか悩み、孤独を感じることもありました。しかし、この「現場で汗をかいた経験」と「外の世界を見てきた視点」の間に生まれた気づきこそが、その後の改革への原動力になったのだと思います。

信頼を力に。「ラーメン」に見出した新たな可能性
― 入社当時、会社の経営状態はどうだったのでしょうか。
実は当時、自社ブランドの「醤油部門」は収益化に苦戦していました。 一方で、大手メーカー様からの受託製造(OEM)という盤石なパートナーシップがあり、それが会社の屋台骨を支えてくれていました。ただ、製造力はあるものの、自社からの提案や販売力がまだ弱いと感じており、私はここに「もっとできることがあるはずだ」という強い可能性を感じていました。当時の営業スタイルも、信頼関係のある既存のお客様への配送や御用聞きが中心でしたので、さらに一歩踏み込んだ提案活動が必要だと考えたのです。
― そこからどのように舵を切ったのですか?
最初は通販事業など様々なトライをしましたが、最大の転機となったのは「ラーメン業界」への進出です。当初手掛けた濃縮スープでは苦い経験もしましたが、方向転換をして、チェーン店様向けの「かえし(タレ)」の開発に注力していきました。

― それが今の「ちば醤油」の大きな強みになっているのですね。
はい。おかげさまで現在は、プライム市場上場企業である有名ラーメンチェーン様をはじめ、多くの素晴らしいパートナー企業様に恵まれています。 単にお醤油を納品するのではなく、クライアント様の味づくりを共に支える「開発パートナー」としての信頼をいただけるようになりました。 この体制を築くには10年を要しました。長い歴史を持つ会社ですから、新しいやり方を取り入れる過程では、ベテラン社員の方々と意見がぶつかることもありましたし、拠点の集約や人員配置の見直しという難しい決断も必要でした。 しかし、そうした議論や痛みを経て、現在はより筋肉質な組織へと生まれ変わることができました。昔を知る方からすれば、今のちば醤油はさらに活力ある会社に映るのではないでしょうか。
成功に慢心しない。次の「食のインフラ」をつくる
― 香取・旭エリアの企業として、今後のビジョンをお聞かせください。
おかげさまでラーメン事業は順調ですが、そこに甘えてはいけないという健全な危機感を持っています。食のトレンドは常に変化していますから。 この地域には素晴らしい発酵文化という資産があります。現在はその知見を活かし、麹菌を使った代替肉の開発などを模索しています。まだ研究段階ではありますが、餃子や唐揚げのタレなど、既存の技術を応用しつつ、当社らしい新しい価値を創造していきたいですね。

― この地域でビジネスを展開する「強み」は何だとお考えですか?
生産キャパシティの拡張性と、それを支える土地のポテンシャルです。近年の需要増に対応して設備投資を行いましたが、まだ製造能力には余力があります。 都心へのアクセスも良好ですし、この地から全国、あるいは世界へ通じる「味」を発信できる可能性は十分にあります。2026年には売上目標のさらなる達成を目指しています。まずは従業員の幸せ、そして豊かな生活の実現を第一に考え、地域に根ざしながらも、想像力豊かに挑戦を続けていきます。
目指すは「安定と挑戦」の両立。変化を楽しめる人と共に
― 求める人材像について教えてください。
特定のスキルというよりも、変化を前向きに楽しめる方ですね。私が20年かけて会社を進化させてきたように、これからも会社は時代と共に変わり続けます。これまでのやり方を尊重しつつも、新しい風を吹き込んでくれる方と働きたいです。

― この会社で働くことで、社員にはどのような「人生の豊かさ」を得てほしいですか?
経営者として一番大切にしている使命は、従業員の生活をより豊かにすることです。 目標としては、公務員の方々のように安定した待遇と安心感を提供できる会社を目指しています。現状に満足せず、さらに高みを目指している最中です。 社内体制の刷新や高収益な体質への転換を進めているのも、すべては頑張ってくれている社員にしっかりと還元していくためなのです。
国道沿いのカフェで一息つく、経営者の素顔
― 最後に、飯田様のリラックス法を教えてください。
国道51号沿いのイオンタウンにある「スマイルコーヒー」という喫茶店がお気に入りの場所です。 一人でコーヒーを飲みながら、考えを整理したり、逆にあえて何も考えずにぼーっとしたり。そういう時間が、忙しい日々の中での良いリセットになっています。特別な遊びよりも、地元の日常の中にこそ、心休まる瞬間を見つけていますね。
飯田恭介氏について

千葉県旭市出身
銚子市内の高校を経て、明治大学商学部を卒業。大学卒業後はアパレル関連企業に広告企画職として就職し、海外出張などを通じて見聞を広める。退職後、アメリカのサンフランシスコ州立大学内の語学学校へ約10ヶ月間滞在し、多様な価値観に触れたのち帰国。家業であるちば醤油株式会社に取締役として入社する。入社当初は工場での現場作業や営業同行といった下積みを経験し、その後約10年をかけて旧態依然とした社内制度の改革を断行。ダイレクトメールやインターネット販売の立ち上げに加え、ラーメンチェーン店向けの「かえし(タレ)」開発へと事業方針を大きく転換させる。この事業転換を成功させ、現在は上場企業を最大の取引先に持つまでに会社を成長させるとともに、全従業員の生活向上と次なる市場開拓に向けて奔走中。
(取材後記)
「昔は世間知らずな部分もありましたから」と謙虚に笑う飯田社長ですが、その眼差しには、家業の伝統を大切にしながらも、時代に合わせて大胆に進化させてきた開拓者の熱意が宿っていました。
アパレルや海外で培った感性と、製造現場で積み重ねた真摯な経験。
その両方を知る彼だからこそ、歴史ある醤油蔵を「全国区の味を創る拠点」へと飛躍させることができたのだと、強く感じました。
私自身、2021年1月に東京都内から千葉県香取市に移住をしてきて、一番最初に驚いたことは「食の美味しさ」です。そして、その食を支え、より一層食卓を華やかにする役割が調味料だと考えています。醤油製造No.1千葉県において、ひときわ輝く知る人ぞ知る一本をつくるちば醤油を是非味わってみてください!

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