東国の熱量を届ける

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インタビュー

伊能忠敬の教えを後世に紡いでいく

髙谷正弘さん

佐原町並み交流館 館長

先見の明で見据える
安心と挑戦ができる町

警察官として過酷な現場をくぐり抜け、市役所職員として激動の合併事業を完遂。そして現在は佐原町並み交流館の館長として、地域の「結節点」を担う髙谷正弘様。そのキャリアは常に「地域のために何ができるか」という問いと共にありました。なぜ彼は警察官としてのキャリアから、地元・香取に戻ったのか。そして今、わたしたちに伝えたい「この町での戦い方」とは。香取市をはじめ、広域の未来を真剣に見据える。その最前線で見守る“地域の守護神”の半生とビジョンに迫ります。

警察学校首席から、命がけの現場、そして故郷への帰還

──まずは、髙谷様のこれまでの歩みについてお聞かせください。非常に多岐にわたるご経験をお持ちだと伺っています。

私の原点は「野球」と「挫折」から始まっています。学生時代は野球に打ち込んでいましたが、腰を痛めて選手生命を断念し、コーチを経験しました。その後、法曹界を目指して勉強をしましたが、方向転換して警察官の道へ進みました。警察学校は首席で卒業したものの、配属されたのは成田闘争の真っただ中にある市川署でした。

──まさに激動の時代ですね。

ええ。当時は空港襲撃や過激派の活動が活発で、交番が襲撃されるなど命の危険を感じる現場を何度も経験しました。泊まり明けが連続する過酷な勤務の中で、「自分はこのままでいいのか」と自問自答し、退職を決意しました。都内の企業からの誘いもありましたが、私は「地元に戻る」ことを選びました。もともと実家が佐原の砦跡という自然豊かな場所にあり、地元志向が強かったのです。

──その後、香取の市役所(合併前の小見川町)に入庁されたのですね。

採用面接では野球の経験(捕手)を買われて総務課に配属されました。役所に入ってからは、不法投棄問題や裁判対応など、警察官時代の経験が生きる「修羅場」のような業務も若手のうちから任されました。 最大の転機は、香取市への合併事業の現場責任者を務めたことです。条件の異なる自治体間での調整は困難を極め、チームメンバーが過労で倒れるほど心身ともに負担の大きい仕事でしたが、なんとか成し遂げました。

「公」の精神で挑む、空き家再生と交流拠点づくり

──現在は佐原町並み交流館の館長を務められていますが、一度退任されて不動産業を立ち上げられた時期もあったそうですね。

はい。定年後、交流館に勤務していた際にコロナ禍が直撃しました。そこで一度退き、以前から課題意識を持っていた「町並み保存のための空き家活用」に取り組むため、個人で不動産業を開業しました。

──ここでも「地域のため」という軸はブレなかったのですね。

営利目的ではなく公共性を重視しました。退職金を充てて、組合には入らず自由に動ける立場で、空き家の片付けや店舗づくりを支援しました。実際に契約する段階では既存の不動産業者に橋渡しをする。そうやって町への貢献を担ってきました。現在は交流館の館長に復帰しましたが、この「公のために動く」という姿勢は、今の交流館運営にも通じています。

──具体的には、交流館をどのような場所にしたいとお考えですか?

単なる観光施設ではなく、地域住民が主体的に使える拠点でありたいと考えています。老朽化で活動場所を失った地域団体や、祭りに関わる保存会などに事務機能やスペースを提供しています。 住民参加型の展示企画を増やしたり、個人宅を事務所にできない団体向けに共同事務所機能を提供したりと、地域活動の「インフラ」としての役割を果たしていきたいですね。

水郷」のポテンシャルと、若者が主役の祭り

──香取エリアを一つのチームと見たとき、まだ眠っている「可能性」は何だと思われますか?

やはり「水」の資源ですね。利根川水系の閘門(こうもん)や水路を活用した周遊観光には大きなポテンシャルがあります。例えば、日本最大級の横利根閘門(よことねこうもん)を通過する観光船や、市全体を循環する観光バスなどを連携させれば、この地域ならではの体験価値を生み出せます。ドイツや北海道の事例を見ても、水辺の活用は人を惹きつけます。

──その中で、交流館や髙谷さんはどのような役割を担っていきたいですか?

私は「若者を支える黒子」でありたいですね。 例えば「佐原の大祭」も、かつて(江戸時代)は対立や断絶の歴史がありましたが、今はルールを守りながら若者が主体となって運営しています。若者が協力して町を動かす姿こそが、まちづくりの原動力です。私は、地域おこし協力隊や熱意ある若者が活動しやすい環境を整え、彼らが主役になれるよう見守る立場に徹したいと考えています。同時に、若者が好き勝手やっていくのではなく、これまでこの町をつくり、守ってきた人たちも祭を通して馴染んでいくのが、この町の歴史を紡いでこれた背景でもあります。

「二足のわらじ」で、人生を豊かに生きる

──これから香取で暮らすこと、働くことで叶えられることはなんですか?

これからの地方での働き方は、一つの会社に依存するだけではないと思います。「二足のわらじ」を履くことをお勧めしたいですね。 例えば、地域の企業で週5日しっかり働いて安定収入を得ながら、自分の好きなことや地域貢献活動(駄菓子屋や地域おこしなど)を副業として行う。リモートワークも普及していますから、大企業と繋がりながら地域で暮らすことも可能です。

──条件面以外で、この町で働くことで得られる「報酬」は何でしょうか?

「生きがい」です。働くことは収入のためだけではありません。 私自身、年末年始も休みなく活動することがありますが、苦ではありません。地域のためになっている実感と、人との交流こそが心の安らぎだからです。自然に囲まれ、食住が近く、日帰りで都心にも行ける。そんな環境で、自分の「好き」を仕事や活動にできれば、人生は豊かになります。2026年は年末年始も1月1日もこの場所(佐原町並み交流館)を開館しましたが、足を運んでくれる人たちが温まったり、笑顔でいてくれたりする姿を見たら、やっぱり物凄く嬉しかったです。

香取の風土を味わう、お気に入りの時間

──最後に、少しリラックスした質問を。髙谷様の「勝負メシ」やおすすめスポットを教えてください。

食事なら「忠次郎商店」ですね。ここの2階からの眺めが素晴らしいんです。チーズ料理やピザが美味しいですよ。あとは、小見川にある「香湯こうたん」のカレー担々麺もおすすめです。

──癒やされたい時や考え事をしたい時はどこへ行かれますか?

特定の場所というよりは、佐原の市街地や高台からの眺めが好きですね。歩きながら風景を眺めていると、新しい可能性や景色が見えてくるんです。そうやって町を歩くこと自体が、私のパワーチャージになっています。


髙谷正弘氏について

都内の大学で法学を学んだ後、警察官に任官。警察学校を首席で卒業し、成田関連の現場警備を経験。その後、地元へ戻り、役所(旧小見川市役所)に入庁。総務課等を経て計37年間にわたり勤務し、後半は香取市合併事業の現場責任者(合併事務室長)として、従事。 定年退職後は、再任用を選ばず民間での地域づくりを志し、佐原町並み交流館へ入館。コロナ禍に一度退任し、自らの退職金を投じて単独で不動産業を開業。営利よりも公共性を重視し、街並み保存のための空き家再生や店舗づくり支援に奔走した。その後、要請を受けて交流館へ復帰。現在は館長として、地域おこし協力隊や若者たちのまちづくり活動を見守り、支援する「地域の黒子」として尽力している


(取材後記)

ユーザー名

「仕事が生きがい」と言い切る髙谷さんの言葉には、激務を乗り越えてきたからこその重みと、地域への深い愛情が滲んでいました。自身の経験を惜しみなく若者に還元しようとするその姿勢は、まさに香取というチームの「精神的支柱」と言えるでしょう。この町には、自分の色で挑戦できるキャンバスと、それを支えてくれる大先輩がいます。

▼髙谷氏が館長をつとめる佐原町並み交流館では張り子体験など、時期によってさまざまなイベントを実施しています。「この記事を読みました!」とフラット立ち寄り声掛けした時に広がっていく佐原の世界はきっと、よりカラフルになっていくはずです。
佐原町並みWebサイトはこちらから

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